2.アンドレア・デル・サルト

「昔し、伊太利の大家アンドレア・デル・サルトが言ったことがある。画をかくなら何でも自然そのものを写せ。天に星辰あり。地に露花あり。飛ぶに禽あり。走るに獣あり。地に金魚あり。古木の寒鴉あり。自然はこれ一幅の大活画なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」

 

 無聊を埋めるために画を描き始めた苦沙弥氏に迷亭が言った言葉である。アンドレア・デル・サルトという画家であるが、万人が知っている名前ではない。当然、出鱈目の名前だろうと思う私に、今日の”百科事典”かもしれないWikipediaが、それが15世紀のイタリアの画家であることを教えてくれた。名前の意味は「仕立屋のアンドレア」という意味で、画家が通称で呼ばれることは当時として当然のことであったという説明があった。画家の名前は迷亭の出任せかと思っていたので、実在する名前であることに驚いたのである。 

 ネット検索はさらに親切で、南伸坊氏も私と同じようにネット検索でアンドレア・デル・サルトが実在の画家であること発見して驚いたことを書いている。また、この画家と漱石を美術論の立場から論じた先人の論文があることも教えてくれるのである。が、数多画家がいる中で、この画家のことを漱石が知っていたこと、そして何故、敢えてここでこの画家を持ち出したかは気になるところである。

 その言葉の内容は、漱石の親しい友人であった子規の主張を思わせる。この画家がルネッサンスからマニエリスムへの移行期に活躍したことと、俳句、短歌の革新の中での子規が主張した「写生」が似た状況として理解できるのかは、美術史や文学史に疎い私が判断できるところではない。マニエリスムが今日否定的な意味で使われる「マンネリ」の語源であるとしたら、子規とアンドレアの位置づけに共通点があるのかどうかは、やや疑問になってしまうが。