6.ウィルヒョウとワイズマン(続き)

 何故、漱石がこの2人の科学者の名前に言及したのかが気になっていることは、前項で述べた。漱石がこの2人についてどのような情報を持っていて、どういう理由でこの2名を選択したか?という疑問であるが、私がこの点に拘るのは、私にはあまりにも的確な選択に思えるからである。 

  そんなことを考えていたときに、漱石はどのような本を読んでいたかを調べることが手がかりになるはずだという、極めて当たり前のことにふと気がついた。漱石については、微に入り細に入りいろいろ保存され、調べられているだろうことは容易に想像できる。そこで、Webで調べてみると、「漱石山房蔵書」が東北大学付属図書館に収蔵され、蔵書のリストがWebで公開されていることが分かった。洋書の蔵書リストの中にWeismannの主著とも言える”The germ-plasm”の名前を見付けたとき、私は心が熱くなるのを感じた。リストには、当然のことながら、Darwinの主要な著書であるThe Origin of Species とThe descent of Man, and Selection in Relation to Sex.も含まれていたが、その他に、以下の関係書籍が確認出来た。

     “Charles Darwin”  Allen G.著

     ”The Science of Life”: an Outline of the History of Biology and Recent Advances” 

     “The Study of Animal Life”  Thompson J. A.著  

     “The Evolution of Sex”  Geddes P., and Thompson J. A.著  

     “Education and Heredity”  Guyau J. M.著    

 書名で検索を試みたところ、これらの書は、Internet Archives というネット図書館のようなシステムからPDFファイルが入手可能であることに加え、The germ-plasmとAllen著Charles Darwinは写真製版の復刻版が現在でも販売されていることが分かり、早速入手した。漱石山房蔵書の生物学関連書籍が現在でも入手可能であることは、ある意味驚くべきことに思えた。

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 実は、蔵書リストには、漱石による傍線や書込の有無も記録されている。漱石蔵書に付された、漱石の傍線と書込を確認することで、漱石の理解の筋を辿ることが出来るのではと思い、早速仙台へ出掛けることを考えた。事前に東北大学附属図書館に問い合わせたところ、現在は、コロナウィルス対策のため、学外者の入館は出来ないことを知らされた。ただ、図書館の担当者は、書込の一部が、「漱石全集」の第27巻別冊下に収録されていること、そこに、The germ-plasmへの書込を見ることができることを知らせてくれるとともに、参考に、漱石全集の当該部分のコピーを送ってくれた。それは、PREFACEで、Weismannが遺伝の仕組みに関する諸説の概要を紹介し、それに加えて、In themselves, such theory can hardly be looked upon as suggestive, for if once the assumed principle is accepted, all the phenomena are thereby explained, and the matter is open to no further doubt.と述べているところで、漱石はそこに傍線を付して、「然り〜」と書き込んでいるという。漱石の知性の在処が窺われるのである。


 漱石全集に収録されているのは書き込みの一部であり、その全貌は本物を見るしかない。しかし、今、それは叶わない。マイクロフィルム化されているものがWeb公開されていれば有り難いのであるがそうなっていない以上、現在可能なのは、図書館間相互利用サービスでプリントを手に入れることになる。さすがに本の全ページのプリントをお願いすることは、コストを含めて躊躇われた。そこで、せめての手がかりを求めて、上記の本の表紙と目次のプリントを依頼することとした。それに加え、上記の本の索引を検索、WeismannとVirchowの名前が掲載されていることが確認出来た、Thompson著のThe Science of Lifeで遺伝を扱っている章のプリントを依頼した。 

 

 プリントは数日で送られてきて、漱石全集収録の書込は確認出来た。f:id:shamaguc:20200819113346p:plain

 目次に漱石の関心の所在を示す傍線などがあることを期待したのであるが、その期待は外れた。しかし、Thompsonの本で、Weismannの名前への下線と、その主張を纏めた部分への傍線を発見したときは、まさに予想的中の思いだった。さらに、傍線を付した

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部分の次のページにはWeismannの説に対してVirchowが異論を唱えていることも記されていた。まさに、その部分が、「猫」のウィルヒョウ、ワイスマン諸家の説を斟酌して考えてみますと、先天的形体の遺伝は無論の事許さねばなりません。またこの形体に追陪して起る心意的状況は、たとい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりません。」漱石が記した内容に符合したのである。 

 特段、何か確かな筋を追うことができたわけではない。漱石の思考の跡を辿ることが出来たのだと高言する勇気はない。ただ、動物学を学び、しかもその経緯の中でWeissmannに関心を持ってきた私には、「猫」で漱石がWeismannに言及していることは、私の漱石に対する勝手な連帯感を育んでくれていた。その意味で、Thompsonの本へ付した漱石の傍線が与えてくれた、「何故漱石が「猫」でWeismann に言及したのか?」という疑問についての納得感は、私にとって意外に大きな喜びだった。