5.ウィルヒョウとワイスマン

「・・・・以上の公式にウィルヒョウ、ワイスマン諸家の説を斟酌して考えてみますと、先天的形体の遺伝は無論の事許さねばなりません。またこの形体に追陪して起る心意的状況は、ととい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりません。」 

 

 これは、苦沙弥氏宅の近所に住む”実業家”の金田氏の娘と寒月くんとの間に縁談が持ち上がっている事に関連して、そもそも実業家というものに好感を持っていない苦沙弥氏と迷亭氏が、縁談に反対の論陣を張っている部分である。金田夫人の鼻がアンバランスなほど大きいことから、その娘の鼻も”潜伏期”を経て、咄嗟の間に膨張するかもしれないので、断念した方が良いという主張を展開している。

 ここでは、「遺伝の事実」と、さらに後天的形質は遺伝しないという「有力なる説」の存在を前提として、論が立てられているのであるが、その説の代表者として挙げられているのがウィルヒョウとワイスマンである。今日の知識を踏まえると、ここで名前が出てくるのは、ダーウィン、ハクスレーあるいは、1900年に再発見されたメンデルという名前になりそうなところであるが、私は、この論理の中で両氏を引用することが極めて適切に感じられるのである。それで、どのようにして、漱石がこの両人を知ったのかが、実はずっと気になっているのである。 

 ウィルヒョウは19世紀半ば頃に活躍した細胞病理学者で、病気が細胞の異常に起因することを主張した人とされる。「全ての細胞細胞から生じる(Omnis Cellula e Cellula)」は彼が述べたとされる有名なフレーズであるが、血液循環の原理で有名な16世紀の解剖学者ハーヴェーの「全ての動物は卵から生じる(Omne vivum ex ovo)」を踏まえたものとされる。生物を構成する基本単位が細胞であるという細胞説は、19世紀初め、顕微鏡観察から動植物の組織が細胞を積み重ねて作られていることに気づいた動植物学者に始まるが、細胞病理学は生き物の構造だけではなく、機能も個々の細胞により支えられているという機能面での細胞説の定式化に貢献したのである。

 ワイスマンは19世紀末に活躍した発生学・遺伝学者で、獲得形質が遺伝しないことを明確に主張したとされる人である。彼は、動物のからだを構成する細胞は生殖細胞と体細胞に分けて考えられること、そのうち生殖細胞だけが次世代の個体に貢献するものであり、体細胞は個体の様々な構造を作るが、その個体が寿命を終えるときに全て消滅すること、そして、生殖細胞と体細胞は発生過程の初期段階で別系統の細胞として分化し、体細胞からは決して生殖細胞は作られない、したがって後天的に体細胞に起こった獲得変異が遺伝することはあり得ないという論理を主張したとされる。生殖細胞により世代が連綿と繋がっている状況をThe Germ-plasm(生殖質)と呼んだことから、彼の考え方は「生殖質連続説」と呼ばれている。今日このような説明は古くさく見えるかもしれないが、ワイスマンの考え方は、当然Omnis Cellula e Cellulaにつながっており、ある意味、細胞説はワイスマンにより完成したものと私は思っている。 

 今、細胞説にことさら言及する人は少ない。しかし、今日の生命科学が遺伝子(ゲノム)機能に基づいて生き物の生き様を説明しようとしているとすると、遺伝子が個々の細胞の(核の)中に存在していることを踏まえ、ゲノム科学の根っ子を細胞説が支えていることの意識は意外に重要であると私は思っている。 

 今日、科学的な意味で進化を議論する際には、当然のことながら遺伝子を踏まえることになる。したがって、その根幹には細胞説がある事になる。「後天性は遺伝するものにあらず」という説の根拠としてワイスマンとウィルヒョウに言及している漱石が、当時の進化議論が細胞説に基礎をおいていることを理解していたとすると、その見識には感服せざるを得ない。 

 私は、生物学の授業で、「「猫」を読んだことがある人、手を上げてみて」と学生に聞いていた時期がある。学問区分に囚われずものを考えるためにこそ学問があるという観点で、細胞説を我が身に引きつけて考えてみるよすがになるかなと思ったのである。四半世紀くらい前は、それでも数%の学生が控えめに手を挙げてくれていたが、その後は皆無になった。学生諸氏にとって、「猫」は文学史上の「古典」に成り果てている事が分かって、10年余前からは、その問いを発することはやめることとした。