3.4つの真理

第1の真理                                      得がたき機会は凡ての動物をして、好まざる事をも敢えてせしむ。

第2の真理                                    凡ての動物は直感的に事物の適不適を予知す。

第3の真理                                    危うきに臨めば平常なし能わざる所のものをなし能う。これを天佑という。

第4の真理                                    凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず。

 

 以上の4つの真理は、台所に残された雑煮を見たことに始まる一連の騒動の中で、「吾輩」が感得し、逢着し、驀地に現前し、経験したものである。

 さして食べたいわけではない雑煮に歯を着けてみようと思ったのは、吾輩が自由に扱える雑煮に出会う機会は希であるという事によるというのが第1の真理。餅は噛み切れず、噛めば噛むほど口が重くなることを実際に経験する前、餅に歯が接した瞬間に餅は魔物だと予知したのが第2の真理。歯から餅を引き離すために前足を使うことになり、平常なし得なかった後足2本で立つことが出来たことにより、吾輩は第3の真理に辿り着いた。歯にくっついた餅を引きはがしてもらうときの激痛を経て魔物から逃れ得たことで体得したのが第4の真理である。 

 敢えて野暮な説明を加えると、第1の真理は希少な儲け話に引っかかる人の心理、第2は、剣道で、竹刀を構え向き合った瞬間に、相手が自分のかなう相手でないことに気付くようなもの。始める前予知ではなく、始めた瞬間の予知であることが重要な点である。第3の真理は、大和魂への期待や、神風への確信にも繋がるようにも見えるが、吾輩にとってその天佑が何事も解決しなかったところが胆なのかもしれない。困苦の後にいつも「安楽」がもたらされるわけではないが、第4の真理は、少なくとも窮地にある困難に耐える呪文にはなるだろう。4つの真理が、必ずしも処世訓になっていないところが漱石なのかもしれない。 

 残されている漱石の写真には笑顔のものは殆どないと言われる。このような“真理”を楽しみながら書き連ねるときの漱石の顔を想像したくなる。